2021年11月、アメリカ・パシフィック・ノースウェスト国立研究所がIAEAと共催した「環境修復に関する国際サミット」で NPO福島ダイアログ理事長の安東が発表したスライドと原稿です。効果的なリスクコミュニケーションと倫理的な課題について、福島で行われた除染事業を実例にしながら発表しました。
みなさん、こんにちは。NPO福島ダイアログの安東量子です。
私の自己紹介から今日のプレゼンをはじめます。
私は、広島で生まれ育ちました。大学に進学し、比較文化を学びました。
福島で暮らすようになったのは2003年からです。福島県南相馬市出身の夫と結婚したからです。
事故までは、放射線にも原発にも関心をもっていませんでした。事故のあとに、私のリスク・コミュニケーションの活動ははじまりました。
私がかかわってきた活動は大きくふたつあります。
ひとつめは、ICRPのはじめたICRPダイアログへの参加です。これは、原発事故のあとの福島県内で、ステークホルダーが集まって話し合いをする集まりです。これまでに22回開かれてきました。当初は、ICRPが主催していました。13回目以降からはICRPと協力をしながら、私が中心となって運営を行ってきました。2020年にICRPの公的なかかわりは終了し、現在は、私が理事長をつとめるNPO福島ダイアログが運営を行っています。
もうひとつは、福島県いわき市久之浜町にある末続地区という小さな集落での放射線測定活動です。2012年から2020年まで9年間にわたって、地域の人たちと協力をしながら、生活を立て直すための測定活動を行ってきました。両方とも論文にまとめてあるので、興味のある方は論文をごらんください。
・福島県いわき市末続地区における原発事故後の共有知の経験 J・ロシャールほか(上記論文の日本語訳)
さて、今日は、前の日本人の発表者の方が除染について発表しました。私は、住民にとっての除染がどのようなものであったのかという観点からお話ししたいと思います。ダイアログと末続地区での活動を通じて、除染については多くの話を聞く機会がありました。原発事故のあとの福島県内の被災地域の住民にとっては、非常に重大な関心事だったからです。
では、除染についての話をする前に、事故の後の住民がどのような状況に置かれていたか、背景を説明します。
まず、放射線についての知識のある人は、ほとんどいませんでした。あったとしても、非常に断片的な知識だけでした。知識の量もリスクの感覚も、人によって大きく異なりました。放射線について、多くの人の間で共有できる共通認識とは、ほとんどなかったと言えます。また、人々のなかでは、事故が起こったことに対して、日本政府と東電への強い憤りと不信がありました。日本政府も東電も、事故は起きないと説明し続けていたからです。原発を支えていた科学技術や専門家に対しても、強い不信がありました。住民にしてみると、思ってもみなかった事故によって、それまでの生活が大きく損なわれました。これは、住民の選択ではありません。勝手に変えられてしまったのです。そのため、「事故前の元の状態に戻してほしい」という思いは、住民のなかに非常に強くありました。
そこに出てきたのが、「除染」です。実は、多くの人は放射能について知らないのと同様に、除染についてもほとんどわかっていませんでした。具体的に何をすることなのかはわからない一方、「除染」は、まるで放射能をなくす決定的な対策であるかのような印象が住民の間に広がりました。写真を見てください。これは伊達市の除染担当課の担当者が、住民への説明のために作った説明です。ビーズが放射性物質です。これを集めて、箱に片付ける作業を除染になぞらえて説明しました。このように説明しなくてはならないほど、住民にとって、除染も放射性物質もよくわからないものだったのです。
その上、当局がこのようなわかりやすい説明をするのは、極めて例外的でした。写真をご覧下さい。これは2011年にいわき市末続地区で行われた説明会です。前に座っているのが、当局の担当者です。事前に用意した文書を配布し、それを読み上げる説明会でした。
ここで住民から、除染をしてどこまで放射線が下がることを保証するのか、との質問が出ました。除染をする地域としない地域は、0.23μSv/h を基準として決めました。しかし、放射線に対する共通認識がまったくないために、0.23は、放射線の安全基準であると住民に受けとめられてしまいました。住民は、除染によって0.23以下まで必ず下げると約束できるのかと当局に詰め寄りました。実は、その当時は行政の担当者も、混乱していました。最初は、0.23がなんの基準なのかよくわかっていない人もいました。そのため、一部の行政の担当者は、住民に対して、0.23以下まで下げると約束をしてしまったのです。住民にとっては、ここで0.23は安全と危険の基準であると同時に、行政からの「約束」になりました。
さて、除染がはじまりました。
除染をするなかで、どのようなことを行うのか、住民にもわかってきました。木を切る、土壌を剥ぐ、壁を洗浄する、などです。なかには、0.23以下まで下がらないことがあることもわかってきました。除染工事を請け負ったのは、民間の建設会社です。人が住んでいる地域では、工事の現場の担当者は、住民に対して作業結果の説明を行いました。直接状況を説明してもらったことは、一部の住民にとっては大きな意味がありました。彼らは状況を正確に理解できたと同時に、適切な対応がなされたと感じたのです。
一方、期待したように除染をしてもらえなかった人のなかには、不満を持っていた人もいました。行政は、公共事業なので、対応は全員に一律同じでなければならないと言いました。そのため、行政は、住民からこうした方がいいのでは、とよりよい除染方法を提案された時も、拒否するのが普通でした。住民は、行政は適切な対応をしないのだ、と強いフラストレーションを感じることになりました。
除染が終わって何年か経った後に、住民の人に除染に対する感想を尋ねました。
多くの人は、除染によって放射線量が下がったことそのものには、満足をしていました。除染を行ったこともよかった、と言っていました。しかし、一方で、経緯については、非常に強い不満を持っていました。自分たちの意見をまったく聞き入れてもらえなかったことを強く訴える声が多く聞かれました。約束した0.23まで下げてもらえなかったという不満もありました。行政に対する信頼度は増したか、と尋ねたときには、まったく増えていない、との答えが返ってきました。
事故から数年が経過すれば、住民の大多数は、0.23が決して安全と危険の指標ではないことはわかっていました。住民は、行政が除染作業を行ったことには満足しています。こうした事実にもかかわらず、住民は、行政をさらに信頼できなくなっていました。意志決定の過程で意見を聞き入れてもらえなかったことがその大きな理由でした。 ここでも問題は、リスクではなく、意志決定のプロセスの問題になったのです。
福島県内には、今現在も、避難指示が解除される見通しの立っていない地域もあります。これらの地域は、除染もまだなされていません。日本政府は、予算の制約によって、これ以上の除染は難しいと言われています。住民は、除染を求めています。彼らは言います。「他の地域は0.23以下まで下がるまでやってもらっているのに、自分たちだけやってもらえないのは不公平だ。10年間待ったのに、自分たちだけやってもらえないのはなぜなのか。」
線量が高い地域では、除染をしても十分に放射線量が下がらないかも知れません。しかし、いま、問題は、リスク、意志決定に加えて、「公平性」という倫理的な問題も大きくなりました。
除染がおわったあと、さらにもうひとつ、大きな問題が出てきました。廃棄物の問題です。廃棄物は、避難区域に作られた中間貯蔵施設に運び込まれます。そこで、30年間貯蔵されたあと、福島県外に搬出されることが法律で定められています。しかし、日本国内で受け入れ先は決まっていません。放射性廃棄物の最終処分場も日本国内では見つけられていません。このことは、被災地の住民の多くも知っており、政府の約束を信じている人はほとんどいません。
さて、10年間の除染プロジェクトを振り返ってみましょう。
まず、リスクイベントが発生しました。そこで最初に問題となったのは、リスクについてでした。安全なのか、危険なのか、そこが最大の焦点になりました。リスクを軽減するための除染がおこなわれました。
除染がはじまったあと、新たな問題が加わりました。意志決定についての行政の対応の問題です。これらによって生まれた行政に対する不満や不信は、時間が経過しても残り続けました。
除染工事が進捗すると、やがて、廃棄物という必然的な問題が生まれます。そこでも行政は、空約束をしました。これまでに自分たちの意見を聞いてくれずに一方的に決めるだけだった行政が、約束を守るはずがない、と多くの人は信じています。
除染をしてもらえていない地域には強い不公平感が残りました。いま、残された避難区域の住民の人たちは強く除染を求めています。よく聞かれる言葉は、「あなたが汚したのだから、きれいにして私たちに返すのは当然のことでしょう」。これは、社会のなかでの倫理的な問題であり、リスクを下げるという除染の当初の目的からはかけ離れた状態になっています。当初は、リスクの問題であったものが、時間の経過とともに、行政の制度的な問題になり、やがて社会全体の倫理的な問題へと広がっていったのです。新たに生まれた問題は、次に発生した新しい問題と混じって、複雑さを増していったのです。
リスクの問題だけであれば、リスクを減らすことで対処できます。手順の問題だけであれば、手順を改善することで状況を改善できます。
しかし、倫理的な問題は別問題です。倫理的な対立をするとき、私たちはたいていそれまでに感情的な対立を経験しています。感情的な対立は、私たちの心に大きな影響を与え、記憶にしっかりと残ります。
不信感、憤り、絶望感などのネガティブな感情は、次のステップに深刻な影響を及ぼします。
前のステップでの感情的な対立によって生じた倫理的な葛藤を短期間で解決することは、誰にとっても難しいことです。
ですから、問題が起こる前に、このような状況を回避するために、倫理的な側面を考慮することが必要なのです。
あらかじめ倫理的な側面を考慮することで、リスクの軽減や手順の改善など、不必要な摩擦を起こすことなしに別の課題に対処することが可能になるのです。
効果的なリスクコミュニケーションとは、どのようなものなのでしょうか。
もっとも大切であったのは、信頼関係を構築することだったのだと思います。
信頼関係がないままだと、日本での除染プロジェクトのように、当初の目的を達したとしても、次から次に別の問題が発生して、しだいに解決策の見つからない大きな問題になっていってしまいます。
信頼関係を構築するためにはどうすればいいのでしょうか。
意志決定の最初からステークホルダーを交えておくことは必須です。当局が一方的に決めてしまうと、いっときはそれでやり過ごせるかもしれませんが、結果として強い不信感が根深く残ります。
次に、現実の状況をしっかり把握することです。どこまでがリスクの問題なのか、どこからが行政の手続きの問題なのか、どこからが倫理的な問題なのか、可能な限り区別できるように、継続的にステークホルダーをまじえて話し合いを持つことが大切です。
そして、次の段階にどうなるのか、将来的にはどうなるのかといった、時間の見通しを立てることです。先行きの見通しがわからない計画や行動を信頼できる人はいません。 最終的に重要になるのは、信頼関係の構築です。住民にとって重要なのは、そのプロセスが信頼できるものであったか、ということです。リスクイベントの対応には、確実な正解はありません。だからこそ、そのプロセスが信頼できるかどうかが重要になるのです。
さて、最後に私たちの宣伝です。私たちは、福島第一原発から海洋に放出される予定のALPS処理水について話し合う集まりを行います。11月28日です。同時通訳つきで、オンライン配信も行います。録画ものちほどサイトで公開する予定です。現在の福島でどのようなことが問題になっているのか、ご覧頂けるよい機会ですので、ぜひご覧下さい。