ジャック・ロシャール
(2019年7月 第21回福島ダイアログより)
親愛なる参加者の皆さま、ようこそ第21回ダイアログ会議へお越しくださいました。今日この場にいらっしゃることに御礼申し上げます。
いわきに戻ってこられたことを、私はとてもうれしく思っています。夏の盛りの時期、猛暑にもかかわらず、福島事故の経験を経てきた住民の皆さまの証言を伺い、共有するために、大勢のみなさまがまたここに来てくださいました。
今日の集まりのテーマは、農業と漁業に焦点をあて福島における復興の経過を議論をすることです。昨日の現地訪問によって、事故によって引き起こされた残存する汚染と、社会・経済的な変化のために、農業者と漁業者の方々の直面している複雑な現状をよりよく理解することができました。私は、今日これから行われる発表と議論が、これらの状況についてのさらなる見識を与えてくれることを期待しています。
この集まりの内容については、もうこれ以上は言わないことに致します。と申しますのは、私のこの始まりのご挨拶で、今日という日が、いかにダイアログと私にとって特別な日であるかを明確にお伝えすることにしたいからです。
ダイアログは、ICRPによって始められ、そして、県内でのよりよい生活の回復を志し、たゆまぬ努力を行う人々のグループによって続けられてきました。そして、今、新しく設立されたNPO福島ダイアログに、ダイアログの継続は委ねられました。
ですから、私は、ICRPのメンバーとして20回のダイアログミーティングの指揮を預かってきましたが、数分後に、NPOの理事長である安東量子さんにこのバトン(トーチ)を手渡します。これは長いダイアログの歴史において、重要な転換点です。
とは言え、ダイアログは誰のものでもないことを強調することもまた重要です。それは、ハンドルのないスーツケースのようなものです。このスーツケースは宝物でいっぱいですが、誰もそれを持ち去って自分のものにすることはできません。この宝物は、あなたがた全員のものです。ここいわき、そして福島県、あるいは日本中、さらには世界中のあなた方のものです。
ご存知のように、このダイアログのルーツは、チェルノブイリ事故後のベラルーシの汚染された地域にあります。ここ福島で続けられる前に冒険がはじまったのは、90年代前半のいわゆるエートスプロジェクトの流れの中ででした。
それは長い道のりでした。疑念や障害、時には進む方向性について慎重さを要する決定もありました。スペインの詩人アントニオ・マチャドの言葉を使えば、この道は、歩くことによって作られました。そして、この道全体を旅した人々を勇気づけたもの、一部だけを旅した人も同じですが、それは人間に対する信頼です。
今日ここへ私たちを再び集わせたのは、この人間性への信頼であり、壊すことができないものだと、私は心から信じています。
ダイアログが長い間、福島の地を巡りながら旅し、続けられることが、私の切なる願いです。
私は今、この願いを今回のダイアログの集まりと議論を指揮する安東量子さんに託します。
皆様が私に与えてくれた8年間の信頼に感謝申し上げます。
つづく