文章:安東量子
「ダイアログ」とは、一般的に「対話」を意味しますが、その語源は、ギリシャ語の「dia(〜を通して)」と「logos(言葉・意味)」に由来します。「ダイアログ」の概念を提唱した物理学者デヴィッド・ボームは、その本質について以下のように述べています。
“ダイアログとは人びとの間の意味の流れのようなものである。この流れは参加者一人ひとりの視点という「堤」を通って流れていく。 …このような意味と情報の自由な流れこそが、文明を変化させ、誤った情報の破壊的な作用から解放し、創造性と自由を生み出すのである。”
私たちの「ダイアログ」でも、参加者一人ひとりの視点を介して、そのような流れが創られてきました。それは、「取手のないスーツケース」でもあります。
謎解きのようなこの喩えから、「ダイアログ」の話をはじめたいと思います。
2011年3月11日に東日本大震災が起き、その後、津波による停電で冷却機能を失った東京電力福島第一原子力発電所の3機の原子炉が水素爆発を起こしました。この爆発によって、環境中に大量の放射性物質が飛散することになりました。政府は福島県内の沿岸部を中心に避難区域を設定し、多くの人が避難することになりました。
ここまでは広く知られた事実です。では、その時、そして、その後の日本、そして福島県内で、人びとには何が起きて、何が問題になって、何を感じてきたのでしょう?
もちろん答えはひとつではありません。人の数だけ出来事があって、人の数だけ感じたことがあります。
私たちは、2011年11月から福島県内で「ダイアログ」と呼ばれる集まりを続けてきました(2011年〜2016年ICRPダイアログ12回 、2017年〜2019年福島ダイアログ9回)。
そこには、原発事故によって影響を受けたり、かかわりを持ったさまざまな立場の人が集って語り、耳を傾けあってきました。
話題は多岐に渡りました。時期によって、あるいは、地域によっても違います。
ただ一貫してきたのは、参加者自身の言葉によって語ること、そして、開かれた場であること、でした。
それは、日本国内のみならず、外国の関心を持った人たちとのつながりを得ながら、原発事故のあとの混乱した生活を自分たち自身で取り戻すこと、暮らしの主導権を自分たちに取り戻すための試みでした。
ダイアログを通じて、その時どき、なにが問題になって、それをどう考えて、どう対応しようとしてきたのか、参加者の語りによってたくさんの言葉が残されました。それらの言葉は、現実に真剣に向き合い、考えてきた人たちの経験と知恵と思いが詰まった、キラキラ光る宝物です。
2011年〜2018年にかけて20回に渡って司会をつとめたジャック・ロシャール氏が、2019年にダイアログの司会を次に譲る時に、こう言いました。
“ダイアログは、ハンドルのないスーツケースのようなものです。このスーツケースは宝物でいっぱいですが、誰もそれを持って行って自分のものにすることはできません。この宝物は、あなたがた全員のものです。ここいわき、そして福島県、あるいは日本中、さらには世界中のあなた方のものです。”
この宝物は誰のものでもありません。
ダイアログの場に集い、その言葉を語り、あるいは耳を傾けた、これから傾けようとするすべての人のものです。誰にも持っていけないから、このスーツケースには取っ手が付いていません。宝物のたくさん詰まったハンドルのないスーツケース、それがダイアログです。
ふたたび、自分という船の船長になるために、自分の暮らしを取り戻し、そして、原発事故によって傷ついた社会をつなぎ合わせるために、私たちは語り合い、耳を傾けあって来ました。
もうひとつ特筆すべきは、ダイアログには女性たちが多く参加し、しばしば議論を主導し、積極的な役割を担ったことです。女性の社会参加率が高いとは言えない日本では、これはとても珍しいことでした。
原発事故の後に中心となって活躍する人たちには女性が多いことは、実は、チェルノブイリ事故のあとのベラルーシやノルウェーでも共通していました。
今回の記録プロジェクトでは、女性が原発事故後の復興において、大きな役割を果たしたことが垣間見えるようにご紹介することも狙いとしたいと思います。