文章:安東量子
ダイアログは多くの地元福島の人たちに支えられて運営されてきました。そのなかでも、初期のダイアログに何度も参加していただいたコープふくしまの野中さんにお話しを伺いました。
INTERVIEW コープふくしま 野中俊吉さん
(みやぎ生活協同組合理事長 ふくしま県本部長)
「自分のものさしを持とう、けれど、人のものさしを否定しない、ものさしが違う人を攻撃しない」
第1回目のダイアログに行った時の印象はどうでしたか?
野中さん:まだ参加者全体がどっち側を見ているかわからない状態。それぞれで取り組もうという方向性もまだ見えなくて。
コープふくしまは、「陰膳調査」といって、それぞれの家庭の食事をまるごと放射性物質を測る検査を早くからされていました。第1回目のダイアログの時にはもうはじめられていたんですか?
野中さん:陰膳調査の提案をいただいたのは2011年の10月で、11月のダイアログの時にはスタートしたばかりでした。全国のコープの連合会組織である日本生協連が、商品検査センターという立派な施設を埼玉県の蕨市に持っているんです。5階建てのビル全体検査施設というところです。各階各部屋にいろいろな機械が設置されて、その一つに放射能を測るゲルマニウム装置もあります。
商品検査センターのセンター長がコープふくしまに来られ、食事に含まれる放射能調査をやるからコープふくしまさんも混ざりますか、というような話でした。
当時、若いお母さんたちは放射能におびえていた人が多く、ママ友家族が福島から避難していくことに直面すると、取り残された気持ちになっていました。コープでは学校が冬休みになると避難する人たちが増えると考え、学校の冬休み前に何かの結果を出したくて、福島県の陰膳調査は他県の調査と別枠で大量にやってくれとお願いしました。しかも早くやってください、と。それが10月に入ってからで、冬休み前に10世帯ぶんの検査結果が出て県庁で記者会見をしました。それで何とかなったかはまた別の話ですが、大きな注目が寄せられました。
コープは全国組織の強みがありますね。
野中さん:埼玉だけじゃなく、福岡、兵庫、大阪、愛知、東京、宮城にも生協連の検査センターはあります。大きな生協はみんな持ってる。それで、全国の検査センターで同じ検査のやり方でやれるように、全国の検査センターの目線合わせをして調査を開始しました。
最初の年度(2011年)は、コープ福島分は100世帯。その次の年度は福島だけは200世帯ぶん測ってもらいました。このサンプルを集めるのが大変なんですよ。検査する世帯は、実際に食したと同じ食事を2日分6食用意しなくちゃいけない。それを検査センターに送って、検査センターは順番に測って行く。機械の数の制約もあるし、14時間測定にかけるにはなかなか大変。検査センターはそれこそ労働基準局から指摘を受けるぐらいの時間働いて測ってくれました。
それに、宮城とか東京とかでも測りたい人もいる。測るのは福島だけではなかった。福島としては、春は山菜、秋はきのこ、そういう季節の特徴を季節の変化に耐えられる測定をしてくれとお願いしました。
そういうなかでダイアログに参加するというのは野中さんにとってどういう意味がありましたか?
野中さん:自分たちがやっていることをみんながどう受け止めるのか、世の中がどう受け止めるのか、そういうことを確認する意味はありました。自分たちでやっていることを自分たちで評価できる。方向性としては適切なんだろうな、とか。あの頃は世界中の学者たちが「俺が」「俺が」「俺のやり方が一番いい」という感じで殺到していて、それに行政もみんな振り回されちゃいましたから。
放射能を測るにしても、測り方がそんなのじゃダメだとか、除染するにしてもおなじような状況でした。やっていることをみんなで発表したり、みんなで決めていくようにする。やっていることをみんながどう受け止めるか、それを肌で感じることができました。なすすべを何一つ持たなくてただ震えているだけではなく。やりようが見えた、というのは、ダイアログを含めた一連の取り組みを通じて得ることができた成果です。
★コープふくしまの東日本大震災以降の取り組みは、ウェブサイト上に公開されています。
心配に思っている人や避難した人、置き去りにされそうな人たちのことを忘れないようにしなくちゃいけない、ということをダイアログでよく話されていました。
野中さん:逃げたくても逃げられない人、放射能以外見えなくなって避難した人、そしてその後帰ってくるとかこないとか、いろいろな人がいましたけれど、その人たちはみんなコープの組合員だった可能性が高いんですよ。福島市や伊達市だと、7割から8割の世帯はコープの組合員なんです。国見町だと120%ぐらい。一つの世帯で親子で組合員ということもあるので、ほとんど全員が組合員だと思っても間違いないわけです。それぞれの人たちが思い悩んでとった行動だから、その思いにこたえる。そもそも、力を合わせて一緒に生活していく、それがコープですから。誰かに強制することはない。こっちの行動が正しい、あんたは間違ってるとか言っていじめないで、と組合員の会議でいつも言ってきました。
自分のものさしを持つことが大切だけど、ものさしが違う人を攻撃しちゃだめだよと。
そのものさしのことはいつ思いついたんですか?
野中さん:早くからです。陰膳調査を始めて結果が出た辺りかな。やっぱりどうしても、専門家は、「こんなの大丈夫なんだから」「これぽっち」と常に言うんです。そうすると、その人と意思疎通、コミュニケーションすることさえ嫌気がさすわけですよね。
原発に賛成でも反対でも、放射能に関する基本的な知識は共通ですよね。専門家から基本的なことは教わりながらも、嘘っぽいことは自分たちで検証しながらものさしづくりを行ってきました。専門家の説明は知識としては聞くけれども、話を鵜呑みにはしない。ただ根拠なく否定したりもしない。
福島の人間としては、福島の人間が中心になって、どうするか悩んで考えていく。
コープに対しては科学的に正しさを証明することが求められているのではないですから。コープなどが様々な放射能の測定を行い、結果が出て避難する人もいます。避難しないで残っている人は、ある瞬間、避難する人が憎らしくなったりはしますけれども、それはそれで尊重する。
そういう方針でコープふくしまとしてはずっと活動されてきたんですね。
野中さん:コープふくしまでは、1ヶ月に1回ぐらい、コープ委員会というのがあって、組合員が集まるんです。そこで料理をしたりゲームをしたりしながら、悩みを出したりする。でも、悩みがそこで話せなかった、ということが陰から聞こえてくるわけです。「わかった」と言わなかったら野中さんに怒られそうな気がしたとか、後から聞こえてくるわけです。「まだわかんないのか」と、そういうことを自分は言いはしないんだけれども、そういうふうに受け止められたと。
陰膳調査については、セシウムが検出されてしまった世帯にはその結果を渡す時に、自分は手紙を書いて渡したんです、結果と一緒に。そして一年中これを食べ続けたらこうなってそして1 ミリシーベルトの被ばくぶん食べようと思うと、あなたはこれを例えば100年食べ続ける必要があって、普通はその前に死んでしまいますからって。そうは言っても、あなたの考えはあなたのものだからという風にも付け加えました。ひとりひとりを大切にしようというのはそういうことです。
ひとりひとりを大切にしようというのは組合の方針なんですね。
野中さん:そうです。コープは「生活協同組合」ですから。消費者たちが自分たちで金を出し知恵を出しみんなでお互い助け合おうというのが COOP。それがそもそものコープの理念なんです。
ダイアログに参加してみて振り返ってみての感想はどうですか?
野中さん:ダイアログは、個人的にはだんだん飽きてきた(笑) 毎回似たようなこと言うから。福島県内でも、ICRPのダイアログが行われていたことを認識していない人もたくさんいますけれども、でもあれはあれで粘り強く行ってきて、福島県内で開かれたというのは良かったんじゃないかなと思います。地域社会の一つの知見にはなったと思います。新聞にも出るし、ちょっとずつ共有認識が積み重なっていくという感じじゃないですかね。
原発事故で、避難指示区域以外は、いきなり住めなくなったり、病気になったりするほどではなかった。ただ気持ち、感情としては悔しいですし、あるいは気持ちよく山菜を取って食べられなくなったから許せない、という思いはあるのだけれども、かといって死んでしまうかというと、そういうわけではない。そういう理解が、地域の住民感情の中に形成されていった。その一翼になったという機能はあったと思います。
そうした集まりはダイアログのほかにもあったと思うんですけれども、それとダイアログの違いは何だったと思いますか?
野中さん:ダイアログというのは、まさに言葉どおり互いに意見を言い合って言葉を交換するということでした。はじめに結論を用意してやっているわけではなかった、それから、開催場所が福島であったことね。とは言っても、原発反対運動をやっている人からしてみれば、ICRPは推進派で結論はもう決まってるみたいな言い方はするんですけれども。
ただ、いろんな素人が参加しやすくなる場づくりをとても意識して、その場を作ったという意味では功績は大きいんじゃないでしょうか。それなりの知見のある人だけを集めて会議をやりました、結論はこうなりました、というのではなくて。それこそコープなどの何もわかんない団体も参加して、何もわかんないと言うので馬鹿にするのではなくお互いに意見を出し合って交換する場でしたね。
それぞれの立場を超える集まりは案外少なかったかもしれないですね。
福島の今の状況についての課題についてはどう思われますか?
野中さん:県民健康調査の甲状腺の検査を、投網をかけたようにやるべきではないという活動をやってます。
甲状腺検査で悩みがあるというのがわかって、甲状腺検査を自分達が食事調査をやったり、ホールボディカウンターを受けたりしたのと同じノリで、自分らでエコー検査をやるかなんて最初は話していたんです。でも甲状腺検査は医療行為だからやってはダメなんだと聞いてわかりました。
当時福島医大に勤務されていた緑川早苗先生に講師に来てもらって、彼女から甲状腺検査の現状も教えてもらい、過剰診断の問題があるという話も聞きました。最初は持続的検査を全てやめるべきというような趣旨と受け止め、「検査を中止して福島県民を置き去りにするのか」なんて言って、緑川先生が泣きそうになっちゃったりした。でも何回かそういう学習会を重ねてしていったら自分なりに分かって、おかしいんだと理解できた。
★POFF ぽーぽいフレンズふくしま
福島で行われている甲状腺検査の意味や課題を知ってもらうための活動をする団体。甲状腺検査によって傷ついたり悩んだりした人の相談を受けられる。本文中にある緑川早苗先生が代表発起人のひとり。
過剰診断によって、見つけなくてもいい癌を無理やり見つけて、大きくなるかならないかわからない、小さなものを無理やり探してあなたは癌ですと言ってしまう。
子供たちがかわいそうです。すでに原発事故の2次被害というような形で200人の子供達が癌を切っちゃってるわけです。そして一生癌患者のレッテルを貼られちゃうわけですよ。この悔しさですね。検査すればするほど癌の「もと」みたいなのが見つかる可能性は高いわけです。その辺のリンゴとかを測るのとは訳が違う。学校での集団検診を受けるたびに見つかっていく。そして子供達は、こういう検査をすればこういうリスクがあるけれどもどうしますか、という選択肢を示されないまま、なかば強制的に検査される。これから10年経った後、さらに原発事故の2次被害、しかも将来のある子供達を地獄に落とすようなことをしちゃいけない。そういう取り組みをしなくちゃなということでやってます。
取り組みというのは、具体的には?
野中さん:学習会をやってます。なんとなくやりましょう、みたいな感じでやっている集団検診はやめましょうと、そういう風に世論に働きかけていきたい。
一人一人の子どもたちの生活を守るのが大切だと思ってます。今回の原発事故によって子供たちの甲状腺癌が増えたかあるいは増えなかったということを、学問的手柄として出すのが重要なんではないんです。
癌と診断された子供とその家族たちは、痛みを内側に抱えてしまっていると想像します。
新聞報道等を見る限り癌だと診断された人は、9割から9割5分は手術を受けてしまっています。「経過観察もできますよ」と言われても、いいから切ってくれと答えてしまうのでしょうか?
野中さん:甲状腺癌の検査というのは、それだけではそれが放射能の影響かどうなのかというのはまったく分かりません。ただ誰かを恨みたくはなりますよね。何かを恨みたいんだけれども、直接的にではなくても原発事故のせいではありますよね。県民健康調査は原発事故のせいで始まっていますから。それで見つかっちゃった。だからもうそこから逃れたくて逃れたくて切ってしまう。挙句の果てに原発事故との因果関係なんて証明できないから賠償金も何もない。すべて自己負担で、後から県が何らかの補助するという制度はあるようですが。この問題は知られにくいんですけれどもものすごく大きな問題だと思っています。
2020年12月22日インタビュー