文章:安東量子
前回までは、チェルノブイリ原発の事故後にベラルーシで始まったダイアログの取り組みを紹介しました。今回からは、そのダイアログのプログラムが原発事故後の福島でどのように実装され、継続されてきたのか。ダイアログの理念や考え方、参加者の声や、実際の議論の進め方なども踏まえて考えます。
---第1回目のダイアログの頃
勝見五月さん(震災時・伊達市富成小学校校長 その後伊達市教育委員会 福島市在住)
第1回目のダイアログの頃は何をされていましたか?
7月に(伊達市の富成小学校で)除染が始まって、その頃は退職だったのですが、退職延長で教育委員会に勤めていて…と言う頃だったので、まだ落ち着いてなかったんですよ。
地域も放射能が散らばっているような感じで。で、ダイアログが始まったのは2011年の11月でしたよね。最初は、福島市の県庁であって、自分の発表も最初の頃は、何をやっていたのか整理をあんまりしていなくて、その後どんどん改良していきました。
除染がやっと終わって、退職した後も学校には度々呼ばれていたんですけれども、いったい除染ってどうだったんだろうって、考えていた。そういう時に出たのがダイアログだったんです。まだ人の話を聞くのに夢中だった回ですね。
なるほど人の話を聞くのに夢中。
みんな初めての事ばっかりでしょう。
そうですね。
あの時、田んぼをどうするんだとか会場から質問が出て、環境省から来た若い人の説明があったんです。実験的にコンクリートの升の大きいのを作って、そういうのを田んぼに埋めるのを広めなきゃいけないでしょうとか言っていて、すごく印象に残ってます。実験的にその升で除染して、それを少しずつ広めるという、ものすごく大きな升、何メートル掛ける何メートルとか言う…。
何のために?
土をどうやってきれいにするのっていう実験のために。升単位の実験。
その後に表土返しとか出たでしょう。でも、まだ(当時は)そういうのではなくて。別に模型を持ってきた訳じゃないですし、環境省の人は若い人だったけれども、答えている内容がそういうことで、絶対そんなの現実的じゃないでしょって思った。いっぱい田んぼがあるのにどうやって一斉にやるのって。
初回の時って県庁で、福島県の人も出てたし、環境省の人も出てたし、お役所色が強かったんですね。
そうそうお役所色が強かった。住民もまず頼るべきところはそこだと思ってますからね。いろんな市町村も来たんじゃないのかな。
半澤隆宏さん(震災時伊達市役所職員、伊達市在住)
第1回目の様子は?
メンバーは、ジャック・ロシャールやクリス・クレメント(ICRP科学秘書官)もいたし、その他のメンバーも大きくは変わらない。ロの字型にテーブルを組んで、あっち側に県庁の人たちがいて、向こう側に外人さんたちが7、8人いたという感じかな。そして、こっち側に勝見さんや野中(俊吉)さん(コープふくしま)や僕や、県庁の人もいたかな。そういう人たちがそれぞれの経験を話すという感じ。
第一回は役所の人の割合が高かった?
高かった。内閣府とか、そういう人たちがいて、ここをどうしていくとかそうしていくとか、今の現状はこうですとか説明して、ジャック・ロシャールさんとかもベラルーシの経験がどうとか話をして、「ほー」という感じで聞いていた。あっちでもダイアログ をしたという話を、ただ、「ほー」という感じで聞いてただけ。まさか続きがあるとは思わなかった。
1回目の時は、マスコミやメディアの人たちも来ていたけれど、特にラウンドをまわして順に話すということはなかったかな。順に経験を話して、なにか聞きたいことがあれば、ってな感じで。外国人には、「チェルノブイリの時はどうだったんですかね?」と聞いたくらいで、2回目以降に行われたようなみんなが話をしていくというスタイルではなかった。
2回目から形式が変わったという感じでしょうか。
そうそう。1回目は普通の会議。外国の人の話を聞く機会なんてないから、「ほー」てなもんで。いろんな人が参加し始めたのも2回目以降。1回目は、僕や野中さんのような特殊な人というか、なにか活動をしていた人。外国人と会う場を作るのが目的だったんじゃないかな。そこから、ジャックさんがやっている手法をだんだん取り入れていったんじゃないかなとおもう。
第1回めと第2回め以降では、どうやらずいぶんと様子が違っていたようです。・・・「ようです」と伝聞系なのは、この文章を書いている私(安東量子)も1回めには参加していないからです。2回めからのダイアログからが、「わたしたちのダイアログ」の形になっていきます。では、第2回め以降のダイアログは、どのような形式だったのでしょうか。
まず、会場に方形、もしくは、半円形にテーブルを並べます。そこに、参加者が座ります。このテーブルに座る人数は、多くて20名までです。司会もその輪の端にいます。この方形、もしくは半円形のテーブルを、「ラウンドテーブル」と呼んでいました。上の半澤さんの言葉のなかにある「ラウンドをまわす」とは、このラウンドテーブルに座っている参加者が、順に話していくことです。
ラウンドテーブルの外側に、一般の参加者(聴講者)の椅子が設置されました。ダイアログは基本的は公開で行われ、一般の参加者は事前の申し込みも必要なく、無料ですべての内容を見ることができるようになっていました。
ダイアログの会場設置例 IRSN Kotoba-福島ダイアログより https://www.irsn.fr/EN/Kotoba-JP/Pages/Kotoba-JP_2011-2015_0.Introduction.aspx
2011年から2015年までの12回のダイアログは、連続した2日間の日程が組まれ、2日とも、午前中は15分程度の発表から始まりました。発表者は、専門家や研究者、行政関係者、NPOなどの団体、PTAや教育関係者、農業関係者、一般住民など、多岐にわたりました。傾向としては、最初の時期は専門家の比率が高く、徐々に、地元の関係者の比率が増えていく傾向になりました。これは、最初は状況も放射能のこともなにもかにもわからなくて、まずは専門的な知見が必要とされたことによるものでした。
午後からは、ラウンドテーブルに座った人たちによる意見交換=ダイアログです。午前中の発表者に、午後からのダイアログだけ参加の人も加えて、12~20名ほどが、司会の進行に従って意見を述べていきます。
ここで用いられるのが、先ほど紹介した、ベラルーシ経験から生み出されたIDPA method です。
進行は、いたってシンプルです。司会が、まず体系的に練られた質問を投げかけます。( 英語では、”structural question” と表現されますが、日本語では対応する表現がなく、ややぎこちない日本語になってしまいます。思いつきや行き当たりばったりではなく、全体の状況などを踏まえた上で、目的や意図を明確に持った上での質問ということになります。)
ラウンドの参加者は、ひとりずつ平等に割り当てられた回答時間で、その質問に順番に答えていきます。回答時間は、ダイアログの全体の時間と参加者の人数によって、その時々、3分だったり、5分だったり、もっと長いときも短いときもありました。 誰かが答えている間に、質問を差し挟んだり、議論をすることはありません。平等に割り当てられた時間、妨げられることなく、自分の意見を言っていくことができました。そして、自分の話す時間以外は、他の人の話を黙って聞くことになります。
ほとんどのダイアログで、質問と回答は2周、まれに3周しました。ということは、2日連続で開かれるダイアログの両日ともに参加すると、合計で4回話す機会が巡ってくることになります。とは言っても、2日間の日程のうち1日だけ参加する人も多かったので、2回の人と4回の人がいました。
2周まわってくるラウンドの1周目は、まず、各参加者それぞれの意見や見解を表明することに重点が置かれました。次の2周目には、1周めの他の参加者の意見を聞いてみてどのように思うか、感じるか、と言ったリアクションが中心になりました。
司会の投げかける質問は、IDPA method の4つのプロセスに従っています。もっとも複雑な問題を扱うときには、おのおのひとつのプロセスごとにまる一日かけることもあるのだそうですが、ダイアログで行われたのは少し簡略化したやり方です。1番目と2番目の質問をくっつけた質問が1日めに、3番目と4番目の質問をくっつけた質問が2日めに投げかけられました。
1、確認 Identification:
問題の本質はなにか? What is the nature of the problem?
課題はなにか?What are the challenges?
関与する関係者と団体/組織はなにか? What are the actors and entities concerned?
2、診断 Diagnostic:
状況の弱みと強みはなにか? What are the vulnerabilities and strengths of the situation?
どんなアクションが実行されたか?What actions have been implemented?
どのようにそのアクションは評価されたか? How these actions have been assessed
3、展望 Prospective:
時間の経過して状況はどのように変わりそうか?How the situation is likely to change over time
直近の課題はなにか? What are the challenges of tomorrow?
よい展開、悪い展開、そして、もっとも起こりそうな展開はなにか? What could be the negative, positive and the most likely scenarios?
4、行動 Actions:
悪い展開を避け、よい展開を促進するために行われるべき行動はなにか? What actions should be developed to avoid the negative scenario and favour the positive one?
状況を変えるためになにがなされるべきか? What should be done to change the situation?
目的はなにであるべきか? What should be the objectives?
こうして進められたダイアログでは、司会の進行によって、参加者は平等に自分の意見を自由に言えると同時に、他の参加者たちの意見にも耳を傾けることになりました。参加していた勝見さんと半澤さんも次のように言います。
勝見五月さん:一巡して、また一巡して、誰も喋らない人はいない、そういう進め方も面白いですよね。挙手したり話したい人だけだと、話す人が決まってくるし、偏っちゃうけれど、時間をそれぞれ割り当てると、すんなりとみんな話すんですよね。ああしなかったら、一言も喋らなかった人もいたと思います。全員が喋るというのが大切。順繰りに話を回すと、自分が避けてしていなかった話というのが絶対出てくる。
半澤隆宏さん:市役所の職員(自分のこと)は自分のところのテリトリーは詳しいけれど、他はそんなに詳しくない。いろいろ知っているわけじゃない。(内陸の伊達市に住んでいる自分は)南相馬の津波の状況とか全然知らなかったから。そういう話を聞くのは新鮮だった。自治体だけの会議は多くてどこでもやってるけれど、ダイアログ みたいなもっと広い意味での体験の共有をする会議の重要性を知った。自分たちが地域の狭い関係性で議論をしているということに気付いて、そうじゃないことも大切だなと気付いた。
自分が語るだけでなく、他人の意見を聞くこと。実は、ここが大きなポイントでした。
原発事故のあとは、さまざまな人で意見がかみ合わず、認識も一致しないという大混乱の状況になりました。ごく身近な家族であったとしても、自分以外の人がなにを考えているのかがわからない、そういう中で、誰もが平等に、そして落ち着いて話せる環境でそれぞれの考えを話して、互いに考えていることを知るのは、自分たちの置かれた状況を把握するために欠かすことのできないことでした。
行政や専門家だけでなく住民や団体など立場の違う参加者が一堂に会して話すこともよいことでした。それぞれの立場によって意見も見方が異なること、なぜそんな風に異なるのかを、感情的にならずに共有することができました。
ダイアログのもうひとつ特徴的なのは、外国からの参加者が多かったことです。ベラルーシやノルウェーからの発表者もありましたが、発表がないときも、毎回、フランスを中心にカナダ、イギリス、スペイン、アメリカなど様々な国から専門家が訪れ、被災地となった福島で交わされる言葉に耳を澄ませました。また、しばしば外国人から投げかけられる質問は、日本人にはない観点のものも多く、原発事故の混乱のなかでともすれば狭くなりがちだった視野を広げてくれました。
こうして開かれてきたダイアログは、ICRPの主催として2011年~2015年にかけて12回を数えました。
1、福島原発事故による長期影響を受けた地域の生活回復のためのダイアログセミナー チェルノビル事故の教訓と ICRP 勧告
2011年11月26日、27日 / 福島市
2、第2回福島原発事故による長期影響地域の生活回復のためのダイアログセミナー 伊達市ダイアログセミナー
2012年2月25日、26日 / 伊達市
3、第3回福島原発事故による長期影響地域の生活回復のためのダイアログセミナー 食品についての対話
2012年7月7日、8日 / 伊達市
4、第4回福島原発事故による長期影響地域の生活回復のためのダイアログセミナー 子供と若者の教育についての対話
2012年 11月10日、11日 / 伊達市
5、第5回福島原発事故による長期影響地域の生活回復のためのダイアログセミナー 「帰還―かえるのか、とどまるのか―」
2013年 2月2日、3日 / 伊達市
6、第6回福島原発事故による長期影響地域の生活回復のためのダイアログセミナー 「飯舘―問題の認識と対応―」
2013年 7月6日、7日 / 福島市
7、第7回福島原発事故による長期影響地域の生活回復のためのダイアログセミナー 「いわきと浜通りにおける自助活動-被災地でともに歩む」
2013年 11月30日、12月1日 / いわき市
8、第 8 回福島原発事故による長期影響地域の生活回復のためのダイアログセミナー 「南相馬の現状と挑戦―被災地でともに歩む」
2014年 5月10日、11日 / 南相馬市
9、第9回福島原発事故による長期影響地域の生活回復のためのダイアログセミナー 「福島で子どもを育む」
2014年 8月30日、31日 / 伊達市
10、第10回福島原発事故による長期影響地域の生活回復のためのダイアログセミナー 「福島における伝統と文化の価値」
2014年 12月6日、7日 / 伊達市
11、第11回福島原発事故による長期影響地域の生活回復のためのダイアログセミナー 「測定し、生活を取り戻す」
2015年 5月30日、31日 / 福島市
12、第12回福島原発事故による長期影響地域の生活回復のためのダイアログセミナー 「Experience we have gained together(これまでの歩み、そしてこれから)」
2015年 9月12日、13日 / 伊達市
2016年からは、地元の有志とICRPの協力によって開催されてきました。2019年の21回めからは、新たに設立されたNPO福島ダイアログが運営を行いました。
13、福島における生活状況回復のためのダイアログセミナー −今日の都路の状況−
2016年 3月12日、13日 / 田村市 都路地区
14、飯舘村フォローアップダイアログセミナー “飯舘村の今の経験をわかちあう“ 国際放射線防護委員会(ICRP)の協力による対話の継続
2016年 7月9日、10日 / 飯舘村
15、「双葉地方におけるダイアログセミナー」 国際放射線防護委員会(ICRP)の協力による対話の継続
2016年 10月1日、2日 / 川内村
16、双葉・大熊の住民の方たちとの現状を共有するダイアログ ~国際放射線防護委員会(ICRP)の協力による対話の継続~
2017年 3月11日、12日 / 楢葉町
17、私たちの未来のために、私たちに必要なこと ~国際放射線防護委員会(ICRP)の協力による対話の継続~
2017年 7月8日、9日 / 伊達市
18、山木屋の住⺠の方たちと現状を共有するダイアログ ~国際放射線防護委員会(ICRP)の協力による対話の継続~
2017年 11月25日、26日 / 川俣町山木屋地区
19、福島ダイアログ:南相馬、小高のいま、未来を共有するための対話集会 ~国際放射線防護委員会(ICRP)の協力による対話の継続~
2018年 2月10日、11日 / 南相馬市
20、福島ダイアログ: 福島第一原発事故のあとで:記憶を残し、経験を共有し、あたらしい未来へ向かうために ~国際放射線防護委員会(ICRP)の協力による対話の継続~
2018年 12月15日、16日 / いわき市
21、福島ダイアログ: 福島の復興はどこまで進んだのか−農業と漁業を中心として− ~国際放射線防護委員会(ICRP)の協力による対話の継続~
2019年 8月3日、4日 / 南相馬市、いわき市
22、福島ダイアログ: 9年間の軌跡について語る ~国際放射線防護委員会(ICRP)の協力による対話の継続~
2019年 12月14日、15日 / 福島市
運営費は、最初の10回は海外の複数の組織(フランス:ASN、IRSN ノルウェー:NRPA 国際機関:OECD/NEA)からの支援をうけて行われました。これらの組織は、1990年代から2000年代にかけてのチェルノブイリ事故の影響を受けたベラルーシの被災地域のプロジェクトを支援してきていました。福島の事故後も、ダイアログの資金的な支援を行うだけでなく、毎回のように遠い外国から足を運び、被災地の声に耳を傾け、そして復興を応援してくれました。
11回めから19回めまでは、日本財団の援助を受けました。20回めから22回めは、JAEAが共催となり、同時にいくつかの公的な補助金を活用しました。
そして、ダイアログの開催は、ここには書いていない実に多くの組織や個人からも助力を受けて成り立ってきました。福島県内の被災者自身、福島県内外の研究者、支援者など、さまざまな立場の人が運営を手伝ってくれました。そして、そのほとんどすべての人が、手弁当での協力でした。特に2016年以降の福島ダイアログになってからの時期の運営実務は、毎回、違う個人や組織が主体的に協力し、運営を積極的に支えてきました。回ごとに人が入れ替わりながら、それぞれの持つアイデアと能力と熱意、そして人間関係だけに支えられて、これだけの内容の集まりを継続的に開催できたことは、原発事故後の奇跡と呼べるのではないでしょうか。
さて、そのダイアログでは、実際にどんな内容が話されてきたのでしょうか。これだけの回数がありますから、すべてを1度にご紹介するのは無理があります。今回は、2011年から2015年のICRPダイアログ時代を中心に振り返ってみたいと思います。