2022年11月6日 ならはCANvasで第24回福島ダイアログが行われました。(主催:NPO法人福島ダイアログ、協賛:日本保健物理学会、日本リスク学会)
その前日の11月5日には、プレイベントとして、富岡町のガイドを秋元菜々美さんに、木戸川漁協の視察を行いました。
今回のダイアログは、開催のねらい にあるように、これまで若い世代の考えや意見が復興に取り入れられてきたとはいえない、という問題意識から、実際に福島の被災地にたずさわっていたり、関心を持っている若い世代の考えを聞く場にしよう、との目的で開かれました。
福島の復興の現在地が浮き彫りになる議論であったと思います。
秋元菜々美さんの経験談:秋元菜々美(富岡町)
富岡町出身の秋元菜々美さんは、中学2年生の時に被災、避難生活を送った後、現在は富岡町に在住し、ガイド活動などをされています。卒業するまでは、被災地出身であることを話すのを避けていた秋元さんが、伝承活動を行うまでの経緯と、現在は、地域の歴史や文化に関心を持ち、地域づくりをしていきたいと考えられていることが語られました。
ダイアログの経験から福島復興プロセスを振り返る:ジャック・ロシャール(前ICRP副委員長・NPO福島ダイアログ) 発表資料(日本語仮訳)
前ICRP副委員長で、ICRPダイアログではずっと司会を務めてきたジャック・ロシャールさんからは、福島原発事故のあとのダイアログの経験から、福島の復興プロセスを振り返っていただきました。ダイアログを通じて明らかになったのは、原発事故は地域の人びとの暮らしの自律性と尊厳を損なうため、放射線への対応を行うとともに、事故によって影響を受ける人たち(ステークホルダー)が参加し、ダイアログを通じ、ともに対応を考え実行していくことが重要であること、が述べられました。
ベラルーシ チェルノブイリ事故後におけるETHOSプロジェクトとCOREプログラムでの若い世代の役割:ティエリー・シュナイダー(CEPN)(録画) 発表資料(日本語仮訳)
フランスの放射線防護の専門家組織であるCEPNのティエリー・シュナイダー氏からは、チェルノブイリ原発事故から10年を経てベラルーシの被災地で行われた地域復興プロジェクトであるETHOSプロジェクトとCOREプログラムについてお話ししていただきました。ソ連崩壊の経済混乱のなかで地方の暮らしが見直される農村回帰が起きたことを背景とし、若い世代の好奇心や活力を刺激する地域プロジェクトがいくつも行われ、地域の活性化と復興に寄与した事例が紹介されました。
シュナイダー氏は録画参加だったため、質疑応答はジャック・ロシャール氏が行いました。ベラルーシの経験で被災地内外出身の若者で違いはあったのか、また、その前に行われたロシャール氏の発表内容Co-expertise への質問、被災地での暮らしの尊厳についてなど、活発な質疑応答が行われました。
私と山木屋地区:佐々木大記(筑波大学大学院) 発表資料
被災地出身ではないながら、山木屋地区と長くかかわり続けている佐々木大記さんからは、ご自身と山木屋地区のかかわりについてのお話をいただきました。震災後に、被災地のなかで人間関係が大きく変わることになりましたが、外と内を行き来する立場となった佐々木さんの実体験をとおしての説得力のあるお話でした。また、行政の進める「大文字の復興」と個人の立場から取り組む「小文字の復興」との2種類があり、双方が噛み合っておらず、後者は力が弱い状況があると指摘され、自分自身は「小文字の復興」に力を入れていきたいと語られました。
ダイアログⅠ 質問 「現在の福島の状況についてあなたの考える良いところ、悪いところを話してください」
参加者(敬称略):秋元菜々美、佐々木大記、廣瀬辰馬、松川希映、須佐菜奈、遠藤瞭、義岡翼、齋藤真緒、小泉良空、井関耕平
被災地出身者5名、震災後福島にかかわるようになった県外出身者5名、男女比は男性4人、女性6人でした。
質問の「いいところ」については、多くの人が共通して挙げていたのは、人とのつながり、人間関係でした。原発事故があったことにより、さまざまな人たちが地域にかかわるようになり、震災前の双葉郡や浜通りにはなかった新しい人間関係が生まれました。被災地でも人口が減少しているなか、外から支援に入ってくれる人は歓迎する存在でもあり、外から来た人には地域からの助けが得られやすいといった双方にとってのよさが実感される状態となっています。さまざまな出会いから刺激を得られやすい地域となっています。
また、元々のコミュニティがなくなってしまったことは、しがらみがなくなったともいえ、新たなことを始めたい人にとっては動きやすい環境があるともいえます。戻ってくる人たちは、その地域が好きな人が多いため、地域のための活動を行う人に対しては、応援するきもちを持っている人が多いことも、動きやすさを増しています。外からなにかチャレンジしたいことがある人にとっては、あたらしいなにかを始めやすい環境にもなっています。
徐々に避難指示が解除され、当初「住めない」と言われていた場所でもインフラ整備が進んでいることも、復興の進捗が思っている以上に早い、としてよろこばしいことです。
ただ、こうしたことは、そのまま問題がある点としても語られました。
あたりまえのように語られる「復興」という言葉の定義が人によって大きく異なり、なにを指しているのかが共有できていないため、「復興」という言葉を使うことで、復興への道筋が逆に見えなくなってしまっているようにも思えます。
インフラ整備にともなう再開発はかつての風景を大きく変えてしまうことになり、「心がついていかない」との声もあがりました。12年が経過し、かつての町に戻ることは現実として不可能ですが、元の町に戻りたくて復興にかかわっていたのに、実際はそうではなかったとの失望の声もありました。
こうした状況に対応するためには、双方向の対話が重要である一方、小規模での対話は比較的容易であるのに対して、規模が大きくなったときに対話を行うことはとても難しくなります。規模が大きくなったときに、どのように対話を成立させるのかは、また別に考える必要があることなのかもしれません。
復興のシーンでは、特に公的機関などによっても「対話」の集まりは、多く開かれていますが、そこでは結論はあらかじめ決まっており、「対話」ではなく、行政の決めた結論に対して、どのように妥協をするのかを話す場にすぎないのではないか、そもそも若い人の声を聞いているふりをしたいだけなのではないかと思えることもあります。「対話」を謳いながらも、対話が成立していない場が少なからず存在します。
双葉郡では、地域と廃炉が一体化した状況になっているなか、廃炉の方向性の議論を地域住民が参画して決定する状態になっていません。廃炉作業の進捗が地域の将来に大きな影響を与えるにもかかわらず、地域が意思決定にかかわれないことは、地域が自律できている状態であるといえるのでしょうか。これは、尊厳が奪われた状態であるといえるのではないでしょうか。
地域のイニシアチブを誰が取るのか、という観点から考えた時に、双葉郡は歴史的に常に大きな権力の周縁に位置し、それによる影響を受けてきた地域でもありました。明治以降は、中央との関係によってさまざまな意思決定がなされており、そもそも地域のイニシアチブをこれまで取れてきたのか、と考えることもできます。現在、政府の行なっている福島イノベーションコースト構想にせよ、国が決めたものであり、地域のイニシアチブを地域が取れているとは言いにくく、このままでは原発事故の前と同じことの繰り返しになるのではないか、という懸念があります。
原発事故によって福島を知り、外からかかわってきた人にとっては、福島の被災地は多くの学びの場であると同時に、あらたなチャレンジをできたり、社会課題を考え、取り組むことのできる場でもあります。ただ、被災地が出身地である人たちにとっては、故郷に戻って暮らしたいだけ、という思いもあります。避難区域出身の人のなかには、戻る前に「なにかものすごいスキルを持って復興に役立てなければ、故郷に戻ってはいけないのではないか」と逡巡していた人もありました。
同じ県内でも、原発事故の影響が少なかったぶん、その後の復興事業とは無縁の会津地方とは、同じ福島県内でも情報面でも、予算配分の面でも大きな差ができています。事故当時の情報のまま置き去りにされてしまっている人が多くおり、また、浜通りでは多くイベントなどが開催されることによって情報も行き渡った面がありましたが、会津ではそれもなく、高齢化と過疎化が急速に進んでいます。
震災から12年もの間、特別扱いされてきたことは、被災地の自己認識にも大きな影響を与え、よくもわるくも原発事故のあった特別な場所、避難区域出身の特別な人、との認識が広まってしまっています。そのことは、社会課題に意識的に取り組む場としての価値を生むと同時に、ただ静かに暮らしたい、元の暮らしに戻りたい、と願う人にとっては、居心地の悪さとしても感じられることがあります。七夕の短冊の願いに「静かに暮らしたい」との言葉があったように、なにかと特別扱いされ、特別視されてきた福島から、「普通」の福島に戻してあげることが、ほんとうの復興なのかもしれません。
オンラインからの声
オンラインからのコメント紹介と、質疑応答を行いました。
放射線に対する質問もありました。政府は「安全です」とだけ言うけれど、実際は、地元の人たちはきちんと測ったり、勉強したり、対策を積み重ねて努力をしてきた結果、現在の状況があるのに、そうした状況をうまく説明できていないのではないか、とのやりとりがありました。
ダイアログⅡ 質問「他の人の話を聞いて、今後していきたいこと、していく必要があると思うことを話してください」
個々人の「この先やりたいこと」については、明確な意見が多くを占めていました。参加者は、強い目的意識を持って福島にかかわっている人ばかりだったため、自分自身がやりたいことについては、それぞれの立場から最初からしっかりと持っていました。廃炉に携わりたい、ただただ普通に暮らすことを楽しみたい、就職先で福島の応援をしたい、新しい農業を行いたい、地域の歴史や文化を学びつつ伝承を行いたいなど、人によってさまざまでした。
自分自身のやりたいことを超えたことになると、言い淀むような場面が多く見られました。繰り返し出てきたのは「これは言っていいのか、悪いのか」という言葉でした。語りにくさは、原発事故直後から放射能へのリスクをめぐって社会的にも大きな問題となりましたが、放射能に限らず、それぞれの立場の違いや生活条件の違いによって語りにくさが継続しています。今後の地域を作っていく上で、これまで以上に一歩踏み込んだ対話の場をいま設けなくては、地域の将来に対して住民が関与することができず、無関心になるといった、取り返しのつかないことになるのではないか、といった切迫した意見が聞かれました。
土壌を作る、土を作るという声もありました。大熊町で新規就農した人は、大熊でしかできない新しい農業をここではじめる、大熊の土壌の可能性を信じています。文化的な土壌を双葉郡に育てていくことの必要性も語られました。また、被災経験から学んだことを、他の場面でも活かしてほしいし、自分でも活かしていきたいとの声もありました。
まとめ 児山洋平:NPO福島ダイアログ/東京学芸大学 発表資料 小林智之:福島県立医科大学 発表資料
※動画前半部分が切れています。
総合議論- オンラインからの質問
終わりの挨拶:菅野源勝(NPO福島ダイアログ)
終わりの挨拶では、NPO福島ダイアログ副理事長の菅野源勝から、復興プロセスに最初からかかわってきた年長世代から、今日語られた若い世代への応答する形での挨拶がありました。
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